五百羅漢
  五百羅漢とは、釈迦入滅後に、教団を統一するため代表者が集まって、釈迦の教えを全員で誦し、経典を編集した時に集まった五百人の聖者(仏教の修行の最高段階にまで達した人)をいいます。

  






  わが国では、室町時代以降に壁画や彫刻・石像などに造られています。五百羅漢図や十六羅漢図は禅宗寺院で山門の楼上に木造の十六羅漢図を安置したのに始まって、それは各宗にも及んで仏法の護持者として羅漢が祀られました。
  






  壷阪寺本堂から山頂を東へ1kmの山中の奥の院の山腹の岩肌に密集して彫られた石像群(磨崖仏、まがいぶつです。隣接して両界曼荼羅、十一面尊などがあり、総称して香高山(こうこうざん)磨崖仏と言い、1596〜1614年本多因幡守が高取城築城の頃、石工達に作らせたものです。